ケントロサウルスとは

学名(属名) Kentrosaurus
名前の意味 スパイクのトカゲ
kentron(棘、スパイク)[ギリシャ語]-saurus(トカゲ)[ギリシャ語]
分類 鳥盤目・装盾類 (装盾亜目・剣竜下目)
全長 約3 - 5m
食性 植物食
生息時期 ジュラ紀後期
下分類・種名 Kentrosaurus aethiopicus (模式種)
論文記載年 1915
属名の記載論文 Kentrosaurus aethiopicus, der Stegosauride des Tendaguru.
Sitzungsberichte der Gesellschaft naturforschender Freunde zu Berlin.
by Edwin Hennig. 1915.

特徴

ケントロサウルスの切手

ケントロサウルスは、ステゴサウルスと近縁のアフリカに生息した剣竜です。背中には、首から背中の中ほどまでは比較的小さな骨板が、そして背中の後半から尾にかけては鋭いスパイク(トゲ)が並んでいました。ステゴサウルスの骨板と異なり、これらは主に防御や仲間を見分けるためのディスプレイに使われたと考えられています。

さらに、ケントロサウルスの最も際立った特徴の一つが、肩から真横に突き出た長大な一対のスパイク(肩甲上棘)です。かつてはこのトゲが腰にあったとする説もありましたが、現在では肩にあったとするのが定説で、捕食者に対する強力な抑止力となっていたはずです。

ケントロサウルスの重心は、他の多くの恐竜と同様に腰のあたりにありましたが、非常に長く筋肉質な尾はそのバランスをとる上で重要な役割を果たしていました。40以上の尾椎で構成された尾は、驚くほど柔軟で、左右に大きくしならせることができました。尾の先端には鋭いスパイク(サゴマイザー)が備わっており、これを正確に振り回すことで、アロサウルスのような捕食者に対する強力な防御兵器としていたと考えられています。

大腿骨の研究

2011年、不完全な12標本を含む合計49に及ぶケントロサウルスの大腿骨を調査した論文が発表されました。

幼体のものとみられる数標本を除き、いずれも「ほっそり型」と「がっちり型」に分けられるそうです。成体(大人)の大腿骨に明確にみられる特徴のため、「オスとメスの違い(性的な違い)」による可能性が示唆されました。

ケントロサウルスの切手

「ほっそり型」と「がっちり型」、どちらがオスでどちらがメスかを判定することは難しいとしつつ、大腿骨ががっちりしている方には筋肉量が多く付随していたはずです。交尾するときにより力を必要とするオスが「がっちり型」だったのでは、と推測しています。

パンゲア超大陸と論文記載

ケントロサウルスのスパイク記載論文(1915年)
ケントロサウルスのスパイクとプレート(1915年記載論文抜粋)
出典:Kentrosaurus aethiopicus, der Stegosauride des Tendaguru. Sitzungsberichte der Gesellschaft naturforschender Freunde zu Berlin. by Edwin Hennig. 1915.

1909年、ドイツの古生物学者ヴェルナー・ヤンセンシュ(Werner Janensch)率いるベルリン自然史博物館の調査隊が、東アフリカ・タンザニアのTendaguru Formationで背中から尾にかけての椎骨、仙骨、大腿骨などを発見します。1910年にステゴサウルスと近縁となる剣竜であることが同定され、発掘調査に同行していたドイツの古生物学者エドウィン・ヘニング(Edwin Hennig)は、1915年新属新種としてケントロサウルス(Kentrosaurus aethiopicus)を記載しました。

北アメリカで見つかるステゴサウルスとアフリカのケントロサウルスが分類上近い属にいるということは、共通の祖先がひとつの大陸にいたことを示唆しています。
大陸がひとつだったころパンゲア超大陸の共通祖先から派生して、分裂した大陸でそれぞれの進化を遂げたのでしょう。

ケントロサウルスの切手

これらの化石の多くはベルリンのフンボルト博物館(現:ベルリン自然史博物館)に運ばれ、美しい全身骨格が組み立てられました。しかし悲劇なことに、その貴重な模式標本(ホロタイプ)の大部分は、1943年の第二次世界大戦中の連合国軍によるベルリン空襲によって破壊されてしまいました。現在ベルリンで見られる骨格は、残されたパーツとレプリカ、そして他の個体の骨を組み合わせたものなのです。