マクロスピリファー

マクロスピリファー

Mucrospirifer

マクロスピリファーとは

学名(属名) Mucrospirifer
名前の意味 鋭い先端(剣先)を持つスピリファー
mucro(鋭い先端・剣先)[ラテン語] - Spirifer(スピリファー属)
分類 腕足動物門・リンコネラ綱・スピリファー目・マクロスピリファー科
生息時期 デボン紀前期〜デボン紀末(約4億1,900万年前〜3億5,900万年前 / 特にデボン紀中期に繁栄)
生息地域 北米、ヨーロッパ、アジア、南米など世界各地の浅い海
下分類・種名 Mucrospirifer mucronatus(模式種)
Mucrospirifer arkonensis
Mucrospirifer thedfordensis
Mucrospirifer prolificus
Mucrospirifer latus など
論文記載年 1931

マクロスピリファー :デボン紀の海を彩った「バタフライ・シェル」

マクロスピリファーの生態復元イラスト
マクロスピリファーの生態復元イメージ
スピリファー類は、「幼い頃(若年期)は肉茎で固着していたが、成長して大型(成熟期)になると肉茎が退化・消失し、完全にフリー(無固着)で生活を送っていた」という説が、近年の有力な見解です。右側の個体は若年期をイメージして肉茎を描いています

古生代デボン紀の浅い海において、海底でプランクトンや有機物をこし取って食べる生き物として圧倒的な繁栄を誇ったのが「スピリファー目」と呼ばれるグループです。その中でもマクロスピリファー(Mucrospirifer:ムクロスピリファーとも呼ばれます)は、蝶が羽を広げたような、あるいはツバメの翼やカイト(凧)を思わせる極端に左右へ伸びた美しい殻を持つことから、欧米の古生物学界や化石ファンの間で「バタフライ・シェル(蝶の貝)」の愛称で広く親しまれています。

マクロスピリファーの化石(細かい放射状の肋と成長線)
マクロスピリファーの化石
細かい放射状の筋(肋)と成長線
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殻の横幅は通常2〜5センチメートル(標準的には2.5〜4センチメートルほど)で、2枚の殻が合わさる蝶番(ちょうつがい)の線が一直線に長く伸び、その両端がトゲや剣先のように鋭く突き出しているのが最大の特徴です。また、殻の中央にはくっきりとした1本の溝と盛り上がり(褶:しゅう)が走り、その左右には細かい放射状の筋(肋)と成長線がきれいに並んでいます。

一見するとアサリやハマグリなどの「二枚貝」にそっくりですが、実はまったく異なるグループの生き物です。マクロスピリファーは、古生代の海で全盛期を迎えた「腕足動物(わんそくどうぶつ)」という動物門に属しています。

二枚貝と腕足動物の違い、そして殻の中の「らせん構造」

アサリなどの二枚貝(軟体動物門)は体の「右側と左側」に殻を持つのに対し、腕足動物は体の「背中側と腹側(上下)」に形の異なる2枚の殻を持っています。さらにマクロスピリファーの仲間(スピリファー類)の殻の内部には、水中のエサをこし取る「触手冠(しょくしゅかん)」という器官を支えるために、石灰質でできたバネのような螺旋(らせん)状の骨組み(腕骨:わんこつ)が収まっていました。この渦巻き状の骨組みは、左右に長く伸びた翼の先端に向かって円錐形に幾重にも巻かれており、殻の内部空間の大部分を占めていました。

泥の海に沈まないための「スノーシュー(雪靴)戦略」

マクロスピリファーの化石
マクロスピリファーの化石
Silica Shale, Sylvania, Ohio, USA.
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なぜマクロスピリファーは、これほどまでに横へ広がった形に進化したのでしょうか? その理由は、彼らが暮らしていた海底の環境に隠されています。

マクロスピリファーの化石は、アメリカ・ニューヨーク州のハミルトン層群やオハイオ州のシリカ頁岩(けつがん)などに代表される、デボン紀中期(約3億9,300万年前〜3億8,200万年前)の泥が積もった浅い海の地層から世界中で大量に見つかります。水分をたっぷり含んだ柔らかい泥の海底は、殻を持つ生き物にとって非常に厄介な場所でした。そのままでは自分の殻の重みで泥の中にズブズブと沈み込んでしまい、呼吸や食事のために殻を開けた隙間から泥が入り込んで窒息してしまうからです。

そこでマクロスピリファーが進化させたのが、雪の上を歩くときに履く「スノーシュー(雪靴)」と同じ原理の「スノーシュー戦略」です。殻の面積を左右へ大きく広げることで泥に対する接地面積を増やし、体重を分散させて泥の中へ沈み込むのを防いでいたのです。
若年期には、海底に落ちている死んだサンゴやコケムシの破片などに「肉茎(にくけい)」と呼ばれる足のような柄で体を固定することで、泥に埋もれることなく快適に暮らしていました。近年の研究で、成長して大型(成熟期)になると肉茎が退化・消失していたことも判明しています。

最新科学が覆した「水流の向き」と自動ろ過システム

マクロスピリファーがどのように海水を殻の中に取り込み(吸入流)、エサをこし取ったあとの水をどこから外へ出していたのか(排出流)という問題は、半世紀以上にわたって古生物学者たちの間で議論されてきました。

マクロスピリファーの自動ろ過システム
マクロスピリファーの自動ろ過システム

1967年、ドイツの古生物学者ディートリヒ・シューマンは、マクロスピリファーの殻の表面に付着して暮らしていた「コルヌリテス(Cornulites)」という小さな円錐形の管を作る共生生物の位置に注目しました。彼はその並び方から、「海水は左右の両翼の端から吸い込まれ、中央の溝から吐き出されていた」というモデルを提唱し、これが長らく古生物学の定説として扱われてきました。

しかし2000年代後半に入り、この定説は覆されることになります。2008年にマンセニードとグルヴェネックが内部の腕骨の向きなどから水流の再検討を行ったのに続き、2009年から2010年にかけて日本の椎野勇太氏らの研究グループが、精密な模型を使った水槽実験とコンピュータによる流体力学シミュレーションを実施し、スピリファー類の巧妙な「受動的ろ過システム」を解き明かしたのです。

エネルギーを使わずに渦を作る! 驚きの流体力学メカニズム

最新の研究によると、水流の向きはかつての定説とは正反対でした。海底の穏やかな水流がマクロスピリファーの殻に当たると、大きく窪んだ「中央の溝」と「左右の翼」の間に自然と水の圧力差が生まれ、自力で水をかき込まなくても「中央の溝から海水が自動的に殻の中へ吸い込まれる」仕組みになっていました。さらに、中央から入った水は殻の内面に沿って流れるうちに、左右の翼の先端へと向かう「螺旋(らせん)状の渦巻き流」を自動的に作り出します。この渦の回転軸は、殻の中にあるバネ状の腕骨の向きとぴったり一致しており、渦の勢いを適度に整えながら効率よくエサをこし取り、最後に「左右に伸びた翼の両端から外へ排出」していたのです。

つまり、マクロスピリファーのあの極端に長い翼と中央の深い溝は、泥に沈まないためのスノーシューであると同時に、吸い込む水と吐き出す水を離れた場所に切り分けて「一度ろ過した水をもう一度吸い込んでしまう無駄」を防ぎ、さらに自然の水流だけで効率よく殻の中に渦を起こすための、流体力学的デザインだったのです。

北米から中国へ:90年越しの命名ドラマ

北米のデボン紀の地層を代表するほど有名なマクロスピリファーですが、実は1841年に最初の発見が報告されてから「マクロスピリファー(Mucrospirifer)」という属名がつけられるまでには、90年もの歳月がかかっています。しかも、その属名が誕生した舞台は北米ではなく、海を越えた当時の中国(北京)でした。

すべての始まりは1841年、アメリカ・ニューヨーク州で進められていた大規模な自然史・古生物学調査でした。調査を率いた古生物学者ティモシー・アボット・コンラッドは、ニューヨーク州のデボン紀の地層から見つかるこの翼の長い化石を、デルティリス属の新種 Delthyris mucronata(デルティリス・ムクロナータ)として記載しました。種小名の「mucronata」はラテン語で「鋭い先端(剣先)を持つ」という意味で、トゲのように尖った両翼の先端を表現したものでした。

その後1860年代になると、カナダのエルカナ・ビリングスやアメリカのジェームズ・ホールらによってスピリファー属へと移され、約70年間にわたって Spirifer mucronatus(スピリファー・ムクロナートゥス)の名で呼ばれ続けました。当時のスピリファー属は、外見が似た腕足動物が何でも詰め込まれる「ゴミ箱分類群」のような状態になっていたのです。

このグループが独自の進化を遂げた特別な系統であることを見抜いたのが、アメリカの古生物学者アマデウス・ウィリアム・グラボーでした。グラボーは1902年、ハーヴィ・ウッドバーン・シーマーとともにカナダ・オンタリオ州セドフォードの地層を詳しく調べ、下の地層からは針のように細長いタイプ(arkonensis)、上の地層からは丸みを帯びたずんぐりしたタイプ(thedfordensis)が見つかることや、ずんぐりしたタイプの殻の成長線をたどると子どもの頃は細長いトゲを持っていた痕跡があることを突き止めました。

その後、活動の拠点を中国の北京へと移したグラボーは、中国南部の雲南省などから見つかるデボン紀の腕足動物をまとめる大著『中国古生物誌(Palaeontologia Sinica)』の執筆に取り組みました。そして1931年に出版された全545ページのモノグラフの中で、スピリファー類の分類を整理するにあたり、かつて北米で徹底的に研究したグループを独立させ、1841年にコンラッドがニューヨーク州で記載した種を基準(模式種)として、新属マクロスピリファー(Mucrospirifer)を創設したのです。さらにグラボーが北米ミシガン州に残していた未整理の種についても、1956年にミシガン大学のアーウィン・スタム、1964年にジョン・ティルマンらによって再検討が行われ、現在の安定した分類が確立されました。

数百万年間の「協調的停滞」と地球規模の大移動

マクロスピリファーは、現代の「生物の大進化理論」においてもモデル生物として重要な役割を担っています。1995年、古生物学者のカールトン・ブレットとゴードン・ベアードは、古生代の海の生態系において、数百万年もの長い期間にわたって全体の70〜85%の種がほとんど姿を変えずに安定した群集を保ち続け、ある境界で短期間に一斉に入れ替わる「協調的停滞(Coordinated Stasis)」という現象を提唱しました。

その最も代表的な実例とされるのが、デボン紀中期の約400万〜500万年間にわたって続いた「ハミルトン動物群」であり、その生態系を象徴するフラッグシップ種(旗艦種)がマクロスピリファーの模式種(M. mucronatus)でした。生息域の中心部であったニューヨーク州の海では、この種が何百万年間もほぼ同じ姿と暮らしぶりを保ち続ける一方で、生息域の端っこ(オンタリオ州やミシガン州などの周縁部)に隔離された小さな集団では、環境の変化に適応して新しい種が次々と誕生していました。

種名(学名) 主な発見地・地層 殻の特徴と古生態学的な意義
Mucrospirifer mucronatus 米国ニューヨーク州(ハミルトン層群)、オハイオ州など 属の基準となる模式種。数百万年間ほとんど姿を変えずに繁栄し続けたハミルトン動物群の代表種。
Mucrospirifer arkonensis カナダ・オンタリオ州(アーコナ頁岩)、米国オハイオ州など 殻の横幅が前後の長さに対して極端に広く、翼端が針のように細長く伸びる超横長タイプ。
Mucrospirifer thedfordensis カナダ・オンタリオ州(ウィダー層)など 幼い頃は細長いトゲを持つが、成長すると前後に厚みと丸みを帯びてずんぐりした体型になる進化型。
Mucrospirifer prolificus 米国オハイオ州・ミシガン州(シリカ層) シリカ頁岩層を特徴づける多産種で、保存状態が極めて良い化石が数多く見つかっている。
Mucrospirifer latus 米国ミシガン州(トラバース層群) グラボーが識別し、1956年にスタムが再記載した種。サンゴ礁周辺の穏やかな海域に適応した代表種。
Mucrospirifer consobrinus 米国ニューヨーク州(モスクワ層) 普段は珍しい種だが、特定の短い時代だけ環境の違いを超えて爆発的に大増殖(エピボール)を起こした種。

デボン紀中期後半になると、地球規模の海水準変動や海流の変化(タガニック生物事変など)によって北米の安定した生態系は終わりを迎えましたが、マクロスピリファーの仲間はこの海洋変動に乗って大西洋地域を越え、ヨーロッパやロシア、中国、アラスカ、さらには南米へと世界中の海に分布を広げました。こうしてデボン紀の海を席巻した「バタフライ・シェル」は、デボン紀末(約3億5,900万年前)に起きた環境変動と大量絶滅によって、その長い歴史に幕を下ろしたのです。