アロサウルス

アロサウルス

Allosaurus

アロサウルスとは

学名(属名) Allosaurus
名前の意味 異なるトカゲ
allos(異なる)[ギリシャ語]-saurus[ギリシャ語]
分類 竜盤目・獣脚亜目・アロサウルス科
全長 約9-12m
食性 肉食
生息時期 ジュラ紀後期(約1億5500万年~1億4500万年前)
下分類・種名 Allosaurus fragilis
Allosaurus europaeus
Allosaurus jimmadseni
Allosaurus tendagurensis
論文記載年 1877
属名の記載論文 Marsh, Othniel Charles (1877). Notice of new dinosaurian reptiles from the Jurassic formation. American Journal of Science and Arts, 14, 514-516.

ジュラ紀の生態系の頂点

アロサウルスは、ジュラ紀後期のアメリカ大陸やヨーロッパに生息していた、当時最大級の肉食恐竜です。体重は2トン前後と推定され、陸上生態系の頂点に君臨していました。目の上にある三角形の骨の突起が特徴的ですが、その形や大きさには個体差がありました。

アロサウルスの全身骨格化石
全身骨格化石(2016年撮影)

アロサウルスの化石が多数発見されているアメリカの「モリソン層」は、当時は雨季と乾季がはっきりしたサバンナのような環境だったと考えられています。このような環境で、アロサウルスはステゴサウルスや、ディプロドクスのような巨大な竜脚類の若者などを獲物にしていました。

多くの化石が見つかっているおかげで、アロサウルスの成長過程も詳しく分かっています。寿命は22歳~28歳で、15歳頃に成長期を迎え、10歳頃には繁殖が可能だったと推定されています。

アロサウルス科には、さらに巨大なサウロファガナクスのような近縁種もおり、ジュラ紀の生態系が非常に豊かであったことがうかがえます。

斧のような一撃「ハチェット・バイト」

アロサウルスの頭骨を分析した結果、後の時代のティラノサウルスほど顎の力が強くなかったことが分かっています。そのため、獲物の骨ごとバリバリと噛み砕くのではなく、ユニークな方法で狩りを行っていたと考えられています。

アロサウルスのいる風景
アロサウルスのいる風景 (Powered by DALL-E3, 2024)

その狩猟法は「ハチェット・バイト(斧の一撃)」と呼ばれています。これは、頑丈な頭骨と強力な首の筋肉を使い、大きく開けた上顎を斧のように獲物に振り下ろして、肉に深い裂傷を負わせるというものです。この一撃で獲物を即死させるのではなく、大量に出血させて弱ったところを仕留めていたと推測されています。

アロサウルスの頭骨を分析した結果、両眼の視野の重なりは20度ほどだったことがわかっています。視野の重なりは立体的に獲物との距離を計るのに役立ちますが、ティラノサウルスほど立体視はできていなかったことになります。しかし現生のワニくらいには距離感を把握できていたようですので、狩りをするには十分だったのでしょう。

体重が軽い分、最高速度30km/h~50km/hほどで走れたと推測されており、そのスピードも狩りの大きな武器でした。短い前あしには3本の鋭い鉤爪があり、獲物を押さえつけたり、引き裂いたりするのに役立ったと考えられます。

アロサウルスの社会性と共食い

長い間、「アロサウルスは仲間と協力して狩りをしていた」と考えられていました。しかし近年の研究では、現生のワニのように、獲物を巡って同種間で激しく争っていた可能性が指摘されています。それを裏付けるように、アロサウルスの化石からは、同種の歯形が残る噛み跡や、腹部の骨折など、激しい争いの痕跡が見つかっています。

アロサウルスの全身骨格化石
全身骨格化石(2012年撮影)。右側にいるのはステゴサウルスです。

2020年には、モリソン層で発見された化石から、アロサウルスが共食いをしていた直接的な証拠が示されました。獲物が少なくなる乾季など、厳しい環境を生き抜くために、死んだ仲間を食べることもあったようです。

過酷な生涯の証「ビッグ・アル」

アロサウルスBig Al(MOR 693)
アロサウルスMOR 693-ビッグ・アル(Big Al)の調査論文抜粋(1996年)
出典:Laws, R. R. (1996). Paleopathological analysis of a sub-adult Allosaurus fragilis (MOR 693) ... Montana State University-Bozeman.

アロサウルスの過酷な生涯を物語る上で欠かせないのが、有名な化石標本「ビッグ・アル(Big Al)」です。1991年にアメリカ・ワイオミング州で発見されたこの個体は、骨格の95%が残る非常に保存状態の良い標本でした。

その後の研究で、ビッグ・アルは骨折や感染症など、多数の怪我を負っていたことが判明しました。特に右足の指の感染症は深刻で、歩行も困難だったと推測されています。

さらに1996年には、ビッグ・アルよりもさらに保存状態の良い「ビッグ・アル2」が発見され、こちらからは顎や肋骨の骨折、尾の感染症など、19箇所もの怪我の痕跡が見つかりました。これらの標本は、ジュラ紀の王者の生涯がいかに闘いに満ちたものであったかを雄弁に物語っています。