プラテオサウルス

プラテオサウルス

Plateosaurus

プラテオサウルスとは

学名(属名) Plateosaurus
名前の意味 平らなトカゲ
plateos(平らな、幅広の)[ギリシャ語]-saurus(トカゲ)[ギリシャ語]
分類 竜盤目・竜脚形類 (竜脚形亜目・プラテオサウルス科)
全長 約8m
食性 植物食
生息時期 三畳紀後期
下分類・種名 Plateosaurus engelhardti
Plateosaurus gracilis
論文記載年 1837
属名の記載論文 Mitteilung an Prof. Bronn (Plateosaurus engelhardti.
Neues Jahrbuch für Geologie und Paläontologie (in German). 1837: 316.
by Hermann von Meyer. 1837.

特徴

プラテオサウルスの全身骨格化石
全身骨格化石(2017年撮影)

プラテオサウルスは恐竜時代初期-三畳紀後期に生息した原始的な竜脚形類です。古竜脚類に分類されています。全長は8mとジュラ紀以降の竜脚類に比べると小型ですが、三畳紀後期の陸棲動物としては驚異的な大きさでした。
ボテッとして胴体に長い首が特徴的です。前足の第一指には、大きなかぎ爪がついていました。かぎ爪は、高い位置にある木の枝を掴むのに使われたり、土を掘って木の根を採取するのに使われた可能性があります。

プラテオサウルスの切手

鼻腔が大きく、臭いに対して敏感だったことがうかがえます。

また、その巨体にもかかわらず俊敏に活動できた理由の一つとして、鳥類に似た効率的な呼吸システムを持っていたことが挙げられます。背骨の内部には空洞があり、肺につながる「気嚢(きのう)」が入り込んでいたと考えられており、これにより体を軽量化しつつ、十分な酸素を取り込むことが可能でした。

ヨーロッパの広い範囲、特にドイツ、フランス、スイスなどでは100体を超える標本が発見されており、三畳紀後期に非常に繁栄した恐竜であったことが分かります。これほど多くの化石がまとまって見つかる理由として、彼らが群れで行動し、干ばつの際にぬかるんだ水飲み場などに足を取られ、集団で死亡・化石化した「ボーンベッド」が形成されたという「泥沼の罠(miring)」説が有力です。

2足歩行の竜脚形類

プラテオサウルスの全身骨格化石
プラテオサウルスの全身骨格化石(2017年撮影)
竜脚形類としては珍しく、2足歩行だったようです

プラテオサウルスは、2足歩行で歩きました。
かつては「4足歩行も可能だった」と考えられていましたが、コンピュータを使った骨格モデリングによる研究などから、プラテオサウルスは4足歩行には向いていなかったことが判明しています。前肢は掌を内側に向けて固定されており、下を向くように回転させることもできなかったのです。つまり、前肢を地面につけて体重をかけることはできませんでした。

また多くの竜脚形類には後足の指が5本ありますが、プラテオサウルスの後足には4本の指しかありません。

4足歩行で描かれたプラテオサウルスの切手
4足歩行で描かれたプラテオサウルスの切手
現在では、4足歩行に適していなかったことがわかっています。
プラテオサウルスの切手
2足歩行で描かれたプラテオサウルスの切手

柔軟な成長戦略:爬虫類と鳥類の中間?

プラテオサウルスの全身骨格化石
プラテオサウルスの全身骨格化石(2004年撮影)

多数の標本が持つ利点を活かし、プラテオサウルスの骨の内部構造(組織学)の研究が精力的に行われています。その結果、彼らが非常にユニークな成長戦略を持っていたことが明らかになりました。

現代の鳥類や哺乳類(恒温動物)は、環境に関わらず一定の速さで成長しますが、爬虫類(変温動物)は、環境が良い時には速く、悪い時には遅く成長します。プラテオサウルスの骨には、この両方の特徴が見られたのです。基本的には環境に応じて成長率を変える爬虫類的な性質を持ちながらも、鳥類のような急成長期を持つこともできました。

この「成長の可塑性(かそせい)」と呼ばれる柔軟な成長戦略こそが、プラテオサウルスが三畳紀の不安定な環境で見事に繁栄できた秘密の一つなのかもしれません。

"恐竜"以前の属名記載

プラテオサウルスの記載論文抜粋(1837年)
プラテオサウルスの記載論文抜粋(1837年)
出典:Mitteilung an Prof. Bronn (Plateosaurus engelhardti. Neues Jahrbuch für Geologie und Paläontologie (in German). 1837: 316. by Hermann von Meyer. 1837.

1834年、医師だったJohann Friedrich Engelhardtは、ドイツ・バイエルン州ニュルンベルク近郊で脊椎骨と脚骨を発見します。3年後の1837年、ドイツの古生物学者ヘルマン・フォン・マイヤー(Hermann von Meyer)は新属プラテオサウルス(Plateosaurus)と命名します。それ以降、ヨーロッパ全土のいろんな場所ドイツ、スイス、フランスなどで100を超える標本が発見されています。

大英自然史博物館のリチャード・オーウェン(Richard Owen)が"恐竜類(Dinosauria)"を提唱したのが1842年、プラテオサウルスが記載された5年後のことでした。当時リチャード・オーウェンが恐竜類と考えたのはイグアノドン、メガロサウルス、ヒラエオサウルスの3属です。1842年時点では、プラテオサウルスは恐竜とは考えられていなかったのです。

プラテオサウルスの切手・化石ギャラリー