ピナコサウルスとは
学名(属名) | Pinacosaurus |
名前の意味 | 厚板トカゲ pinako(板)[ギリシャ語]-saurus(トカゲ)[ギリシャ語] |
分類 | 鳥盤目・装盾類 (装盾亜目・曲竜下目・アンキロサウルス科) |
全長 | 約5.5m |
食性 | 植物食 |
生息時期 | 白亜紀後期(約8000万年-7500万年前) |
下分類・種名 | Pinacosaurus grangeri (模式種) |
論文記載年 | 1933 |
記載論文 | Two new dinosaurian reptiles from Mongolia with notes on some fragmentary specimens. American Museum novitates ; no. 679. by Gilmore, Charles W. 1933. |
特徴

ピナコサウルスは、数多く見つかっている中型のヨロイ竜です。白亜紀後期(8000万-7500万年前)に生息していました。
ピナコサウルスは、頭部に骨質の突起、尾の先に棍棒(テールクラブ)を持っていました。尾の棍棒はアンキロサウルスのものに比べると小型でした。上顎には14本の歯を持ち、鼻の周辺には、他のどの恐竜にも見られない複数の追加の穴が開いているのが最大の特徴です。
この奇妙な穴の機能はまだ謎ですが、彼らが乾燥した砂漠地帯に生息していたことから、体内の余分な塩分を排出するための塩類腺が収まっていたのではないか、という説が提唱されています。また、複雑な発声のための共鳴室であった可能性も考えられています。


プロトケラトプスやヴェロキラプトルが発見される地層から発掘されており、砂丘地帯に生息したと考えられています。
子供の化石が同じ場所から見つかることから、集団で群れをつくって生活していた可能性もあります。尾の先の棍棒は、子どものころには発達していませんでした。 また、2メートルほどの子供の化石からは骨質のヨロイも見つかりません。これらの装甲は、大人になる過程で発達していくと考えられています。
砂漠の「恐竜保育園」と悲劇

よろい竜特有の小さい歯が並んでいます。
ピナコサウルスの生態に関する最も重要な証拠は、ゴビ砂漠で発見された、子供たちだけの化石の密集層(ボーンベッド)です。
ある場所では、なんと数十体もの若いピナコサウルスの骨格が、折り重なるようにして発見されました。驚くべきことに、これらの集団の中には大人の個体が含まれていませんでした。このことから、ピナコサウルスの子供たちは、親から離れ、子供たちだけの「保育群(保育園、crèche)」を形成して集団で生活していた可能性が非常に高いと考えられています。これは、捕食者から身を守るための、現代のダチョウなどにも見られる高度な社会行動です。
彼らがなぜ一緒に死んでしまったのか、その原因は彼らが暮らしていた砂漠という環境にあります。骨の埋まっていた状況から、彼らは激しい砂嵐に巻き込まれ、瞬く間に生き埋めになってしまったと推測されています。この悲劇的な出来事が、太古の「恐竜保育園」の様子を、私たちにタイムカプセルのように伝えてくれたのです。
発見と論文記載

出典:Two new dinosaurian reptiles from Mongolia with notes on some fragmentary specimens.
American Museum novitates ; no. 679.
by Gilmore, Charles W. 1933.
1920年代、アメリカ自然史博物館はモンゴル・ゴビ砂漠への発掘調査を実施しました。1923年よろい竜のものと思われる右腸骨と尾の椎骨の化石を発見します。 1933年アメリカの古生物学者チャールズ・ギルモア(Charles W. Gilmore)は、11月に発行された論文"THE DINOSAURIAN FAUNA OF THE IREN DABASU FORMATION"では属名を与えずにこの標本を紹介するに留めましたが、 翌月12月には論文"Two new dinosaurian reptiles from Mongolia with notes on some fragmentary specimens."のなかで、 頭骨を挙げて新属ピナコサウルスと名づけます(ちなみに、同論文のなかでは竜盤類"Mongolosaurus haplodon"も記載されました)。
アメリカ自然史博物館の発掘調査以来、中央アジアでは幼体を含む化石が発見されています。
ピナコサウルスの切手・化石ギャラリー

