ヒパクロサウルス

ヒパクロサウルス

Hypacrosaurus

ヒパクロサウルスとは

学名(属名) Hypacrosaurus
名前の意味 一番ではないが、最高に近いトカゲ
hypo(-ではない)[ギリシャ語]-akros(一番高い)[ギリシャ語]-saurus(トカゲ)[ギリシャ語]
分類 鳥盤目・鳥脚類 (鳥脚亜目・ハドロサウルス科)
全長 約9m
食性 植物食
生息時期 白亜紀後期(約7500万年-6700万年前)
下分類・種名 Hypacrosaurus altispinus (模式種)
Hypacrosaurus stebingeri
論文記載年 1913
属名の記載論文 A new trachodont dinosaur, Hypacrosaurus, from the Edmonton Cretaceous of Alberta.
Bulletin of the American Museum of Natural History 32.
by Barnum Brown. 1913.

特徴

ヒパクロサウルスの切手

属名ヒパクロサウルスとは、"最高に近いトカゲ"の意味です。「何が最高なの?」と思いますが、王者ティラノサウルスと同じくらいの体高だったことに由来します。

ヒパクロサウルスは、コリトサウルスに似た頭頂部に骨質の丸い空洞のふくらみと、背中の神経棘が特徴的な大型鳥脚類です。白亜紀後期(7500万年-6700万年前)の北米に生息していました。

ヒパクロサウルスの全身骨格化石
全身骨格化石(2011年撮影)

頭上の空洞のトサカは鼻腔の一部であり、内部の複雑な管状の構造に空気を通すことで、ユニークな音を出すことができました。トサカの形は種によって異なるため、その音色も異なっていたと考えられています。まるで種ごとに固有の音色を持つ「楽器」のように使い、遠くの仲間とコミュニケーションをとっていたのでしょう。

ヒパクロサウルスの成長

ヒパクロサウルスは、卵、巣、そして様々な成長段階の化石がまとまって発見されており、その一生を知ることができる数少ない恐竜の一つです。特に、卵の殻が踏み砕かれた巣の中から、歯のすり減った赤ちゃんの化石が見つかっていることから、孵化した後もしばらくは巣にとどまり、親からエサをもらって世話をされていたことが確実視されています。彼らは、近縁のマイアサウラと同じく「良い親」だったのです。

ヒパクロサウルスの全身骨格化石
全身骨格化石(2012年撮影)

ヒパクロサウルスの卵は、直径約20cmのほぼ球体になっています。その中には、伸ばすと体長60cmの胚が入っていました。
体長1.7mで孵化しますが、頭頂にはすでに骨の膨らみが確認できます。2〜3歳で繁殖可能となり、約10歳で体長9メートルに達します。

ヒパクロサウルスの成長速度は大型肉食恐竜を上回るぺースでした。
身体を早く大きくすることは、肉食恐竜に対抗する防御の役割も担ったと考えられています。

太古の細胞?驚異的な化石の発見

ヒパクロサウルスの研究は、私たちに驚くべき発見をもたらしました。2020年、モンタナ州で発見されたヒパクロサウルスの赤ちゃんの頭骨化石を詳細に分析したところ、7500万年前の軟骨組織が保存されていることが明らかになったのです。

さらに驚くべきことに、その軟骨細胞の中には、細胞核や染色体のような構造まで確認されました。研究チームは、特殊な染色液によってDNAの断片と思われるものに化学反応があったと報告しています。この「恐竜のDNA発見」という主張は、まだ世界中の科学者による検証が必要な段階ですが、太古の生物の分子レベルの情報が、化石の中に眠っている可能性を示した、非常に重要な発見です。

発見と論文記載

ヒパクロサウルスの左脚スケッチ(記載論文)
ヒパクロサウルスの左脚スケッチ(1913年)
出典:A new trachodont dinosaur, Hypacrosaurus, from the Edmonton Cretaceous of Alberta. Bulletin of the American Museum of Natural History 32. by Barnum Brown. 1913.

1910年、古生物学者バーナム・ブラウン(Barnum Brown)はカナダ・アルバータ州レッド・ディア・リバーに位置するHorseshoe Canyon Formationで椎骨や骨盤の一部など、部分骨格化石を発掘します。このとき頭骨は発見されていませんでしたが、サウロロフスに似た鳥脚類と推定し、1913年バーナム・ブラウンはヒパクロサウルスを記載します。
1924年、さらに2つのヒパクロサウルスの頭骨化石が発見されました。

ローレンス・ランベ(Lawrence Lambe)によって1917年に記載されたケネオサウルス(Cheneosaurus tolmanensis)や、アメリカ・モンタナ州Two Medicine Formationで発見されアメリカの古生物学者リチャード・スワン・ルル(Richard Swann Lull)によって記載されたプロケネオサウルス(Procheneosaurus)(1920年記載)は、ヒパクロサウルスの子ども(幼体)であった可能性が指摘されています。